去る8月8日(土)、学士会館で南海トラフ広域地震防災研究プロジェクトシンポジウムが開催され、参加してきました。これは国内の防災研究者を中心として、来るべき南海トラフの巨大地震による被害を軽減するために、今何をするべきかを多角的に検討するための公開集会です。午後からは一般市民も参加いただける公開シンポジウムがあったのですが、午前中は防災研究者によるワークショップが開催され、私たちのチームからもほとんどの研究員が参加しました。ワークショップは3つの分科会形式となっていましたが、テーマに若干違いがあるものの、共通するところは「ハザード」に関する情報をどのように発信すれば効果的な防災情報となるかという点でした。
考えてみれば明らかですが、もともと地震ハザード情報は専門家が災害現象を観測し、そこに法則を見出したものから敷衍されるある種の予測を含んだ情報です。そこにはどうやっても不確実な要素が存在し、決して排除できない性質のものです。推定精度における幅が明らかに存在しているのに、その情報が防災の現場で使われるとき(すなわち一般市民に発信されるとき)には、その幅はほとんど顧みられません。被害想定の数字にしても、あたかも一桁まで精度が保証され意味があるように受け取られるのは、情報の出し方に問題があると言わざるを得ません。なにより被害想定やハザードマップを作った自治体自身が、それを使うはずの住民と十分な対話(リスクコミュニケーション)を行っていないケースが本当に多いからです。
もちろん科学のほうにも多くの問題があります。そもそも不確実な要素がたくさんある場合の表現方法自体を科学は十分示せていません。地震による揺れの強さを表す震度にしても、津波の高さを表す波高にしても、科学的には意味のある指標ですが、それがどれほどの確率で生じる事態なのかを含めて提示するとなると途端にあいまいになります。確率論的に表現された指標は市民には到底理解され難いものです。もっとわかりやすく、もっと防災行動を変えるに至るような、意味のある情報や指標にする工夫が求められています。見方を変えれば、科学に対する信頼が問われている状況だともいえるでしょう。
たまたまいま映画館で上映されているこの夏のハリウッド大作は「科学に対する不信」が共通テーマにあるように思われます。アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロンと、ターミネーター/新起動ジェニシスは、ともにネットワーク化されたコンピューターが暴走する事態が背景にありますし、ジュラシックワールドは遺伝子工学による人工生命がもたらす混乱がテーマです。アクション映画の格好の題材になるほど、科学は危険で厄介なものになりさがってしまったのでしょうか。今日は九州電力川内原発が再稼働される日です。安全性の評価には科学的に推定できないことがたくさんあります。不可知なことがたくさんあっても、なお動かすのだということを、すべての関係者が了解しておかないと、福島の悲劇はなくなることはありません。