2050年東京オリンピックのメインスタジアムの建設計画が白紙に戻りました。2520億円は必ずしも高くないということを言う人もいるようですが、現在大問題となっているギリシャの債務(およそ2100億円)が完全に返済できる額にも相当するとなると、これだけの費用をかけて建設することと、一国の経済破たんを防ぐこととどっちが大切かという気もします。ましてや途上国で深刻な貧困を食い止めるために使えば、ずっと価値のある2520億円になったように思うのですが、どうでしょう。日本はここで無駄な費用をかけずに、先進国の中でも最もエコノミーな、そして環境負荷の少ない21世紀のお手本となるようなオリンピックを実施したということの方を誇れる国にしたいものです。
ところで今回の段取りで一番気になったのが、施設計画を立てる際の段取りというか、順番の問題です。地震国日本にあっては、最優先すべきはまず『安全性』であって、次に『使い勝手』、そして『経済性』、最後に『デザイン』だと思うくらいです。デザインが先に来るものは工業製品ではたくさんありますが、それはデザインが機能を象徴するものだからで、今回のような大規模構造物ではデザインはそのような意味を持たないように思います。景観的に見ても高い評価が得られなかった今回のデザインに、ずっとこだわった意味が分かりません。メンツというか体面が大事だったのでしょうか。
まずデザインコンペがなされて大まかなデザインが決定したとしても、それが実現可能かどうかの検討がデザイン段階ではほとんど議論されないというのでは、かつて日本社会で問題になった耐震偽装の問題を思い起こさざるを得ません。あの問題も敷地があり、予算があり、工期があり、その制約の中で設計にすべての責任が押し付けられたために、あのようなひずんだ構造物ができる羽目になったともいえます。もちろん設計者の倫理観の問題は極めて大きいのですが、デザインや工期が決まったから、設計さんあとはよろしくねというのでは、とんでもなく危険なものが作られてしまう恐れがあります。設計段階でどこまで緻密な計算をしているのかわかりませんが、そのあたりの情報も公開して、せめて専門家だけでも納得のいくような構造物であってほしいものです。