間もなく、また1月17日がやってきます。兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)は、日本の防災を根底からゆすぶる大きな転換点となるイベントでした。あれから20年。私たちの社会はどう変わったのでしょうか。改めてこの20年間を振り返ってみると、実に多くの出来事が起きていて、それらによる変化の大きさに驚くほどです。いまや誰もが持っている携帯電話すら当時はほとんど普及していませんでしたし、ネット社会などもまだごく限られた人たちだけの世界でした。主なものを表にしてみました。
世界に目を向けてみれば、9.11のテロ(2001年)も、イラク戦争(2003年)も、エジプト革命やリビアの内戦(2011年)も、この20年間の出来事ですし、災害でいえば、東日本大震災(2011年)は無論のこと、死者20万人を超すインド洋大津波(2004年)や、アメリカで1000人を超す死者を出したハリケーンカトリーナ(2005年)もこの20年間の出来事です。この間、ハイブリッドカーや電気自動車の普及、テレビの液晶化、デジタル放送の運用開始、LEDによる省エネ家電の浸透など、私たちの生活も大きく変わりました。
21世紀に入って15年が経ちました。この時点で一度立ち止まり、これまでの来し方を振り返って未来を創りなおしてゆけるかどうか、いま重大な岐路に来ている気がしてなりません。
項目 | 1995年当時 | 2015年現在 |
携帯電話 | およそ10%の普及率。持っている人のほうが珍しい。震災の後で、公衆電話に長蛇の列ができ、NTTが臨時電話を各地で設置しました。 | 世帯ベースで95%以上。台数では人口を上回るほどになりました。スマートフォンの普及率も50%を超えています。 |
構造物の耐震性 | 震災後、旧耐震基準の家と新耐震基準の家とで被害の出方に差があることが示されましたが、新しい建物でも手抜き工事があったり、地盤の悪いところにあったものは大きな被害を受けました。 | 2000年から導入された住宅性能表示制度で家の性能は一定項目については明示されるようになりましたが、2005年に発覚したいわゆる耐震偽装問題で、建物の信頼性が著しく低下しました。 |
災害医療 | 広域医療の仕組みはありましたが、都道府県を超えるような大規模な災害時のための仕組みは整備されていませんでした。 | 2004年からDMAT(災害医療派遣チーム)が整備され、各地で大災害時には派遣され実績を積んできています。 |
高齢化(介護) | 介護保険制度はまだ導入されておらず、介護は主に家庭での対応に大きく依存していました。認知症という言葉もなく、主に病院での介護は医療の負担を大きくしていました。 | 2000年より導入された介護保険は施設介護と在宅介護支援との並立で、介護の流れを大きく変えました。しかし認知症高齢者は300万人を超え、将来はかなり不透明です。 |
国民負担 | 当時の消費税は3%でした。震災から2年後に5%、そして2014年に8%に上がりました。 | 2017年には現行の8%から10%への引き上げが予定されています。 |