リスクという言葉はいろいろな文脈で使われますが、厳密な意識のもとに使われる場合は極めて少なく、多くの場合かなりのあいまいさを含んだまま使われるようです。つい最近では、拉致問題の関係で北朝鮮に日本から政府関係者を派遣する件で安倍総理がリスクを用いた表現をしましたが、これはまさにリスクそのもの(危険性)を包括的にとらえた、いわば「概念としてのリスク」のようなニュアンスだったと思います。ところが科学の分野では、リスクを概念ではなく計測できる指標にしたほうが望ましいものがたくさんあります。そしてそれらのうちいくつかはすでに実用化されています。
自然災害に関して言えば、リスクに関する議論はそれをもたらす恐れのある「ハザード」という要素と、リスクを受ける客体となるものの性質である「脆弱性」とに分けて評価が行われています。いきなりリスクにすることを難しくしている要素の一つは、現象の再現間隔が著しく長いことで量的評価が難しい自然災害だからこそでもあります。自然災害のリスクコミュニケーションの中心となっているのが、「ハザードマップ」と「被害想定」です。この2つに「地域防災計画」を加えた3つの基礎資料が、一般市民にとって自らが直面する自然災害リスクを正しく認知し、自分のリスクについて考えるために最初に参照すべき公的基礎情報となっています。これら資料は個人の側から見れば、いわばすべてが一種のハザード情報であるともいえます。そのわかりやすさについてはいろいろな問題がありますが、そのことを別にすれば、実社会の自然災害リスクには個人差がはなはだしいことがわかっているので、またその多様性は大変大きいため行政がサポートし、定量評価をすることが難しいのが現実です。そこで今の日本では公的なものはハザードまで、そこからリスクに変えるところは「個人の努力にゆだねます」という基本姿勢になっています。例を示すと、ハザードマップの典型的なものは地震動の予測地図、すなわちその地域で将来期待される被害をもたらすような地震による強震動の分布図です。震度だったり、加速度(ガル)だったり、表現方法はいろいろありますが、期待される地震による地盤の揺れの大きさ(ハザード)を表していることには違いがありません。これは地震が起きる場所、そして地震の規模、地震の起こり方によっても変わりますし、最も重要なのはその場所の地盤の良否で大きく違いがあるということです。ここで注意しなければならないのはハザードがいくら大きくてもリスクが大きいとは限らないという点です。基礎を深く打ち、耐震性の高い構造物にすれば、ハザードは大きくても被害は小さい、すなわちリスクは小さいということがわかります。90年代から急速に進んできた免震、制震などの新しい構造物は、湾岸地区など地盤のあまりよくないところでも十分耐える構造になっていますし、東京スカイツリーがあれほどの高層建物でも311によく耐えたということは、ハザードが大きいところでも、テクノロジーでリスクは軽減できることの何よりの証拠です。
そう考えるとハザードからリスクに読み替えるためのサポートをもっとしっかりしないといけないのですが、多忙にかまけて現代人はなかなか己の脆弱性をきちんと認知できないというのが悩ましいところです。研究者側からいろいろリスク診断のためのソフトなどが提案されていますが、どれも今一つです。行政はハザードまではサポートするけれども、それをリスクに変える際に必要な脆弱性の評価は個人の努力によるというケースの典型的なものは耐震診断です。耐震診断は個々人の家の耐震性を定量的に評価して、リスクがどれだけあるかを読み取れるようにする行為でもあります。尤も実際には地震の発生確率まで含めたリスク評価までつながるような耐震診断は極めてまれで、実態としては建物の耐震性を(それも上物だけを)定められたルーチンで評価し、何段階かの尺度に位置づけているにすぎません。それでも個人レベルでリスク評価に結び付くような脆弱性評価に一部公的なサポートがあるのは、ある意味で画期的なことでもあります。(実際には多様性の非常に大きい建物をすべて診断することはなく、ある特定の建物集団だけしか診断対象にはなりませんが)
さてリスクを構成するハザードと脆弱性の関係は次のような式であらわされます。
リスク=ハザード×脆弱性
ハザードと脆弱性はリスクが評価される客体(リスクが及ぶ対象物)の味方により変わってきます。
建物の地震リスクでいえば、リスクは建物が被災して損害が出る可能性であり。ハザードは建物のある場所で期待される地震動の強さであり、脆弱性は建物の耐震性能になります。一方建物に収容されている人が客体の場合はどうでしょうか。この場合のハザードは建物の被害そのものになります。それは建物の被害が中にいる人に危害を与える可能性が最も高いからです。また屋内にある家財や内装物などの落下や転倒という事象もある意味でハザードです。これに対して脆弱性のほうは人そのものが持つ外力に対する堅牢性です。健康で頑健な人は怪我をする可能性は低くなるでしょうし、病弱な人や障害のある人は脆弱性が高く、ハザードを左右する(器としての)建物をしっかりしたものにしないと、リスクのコントロールが難しくなります。このようにハザード、脆弱性、リスクというのは、「客体の違いによって大きく変わる相対的なもの」で、要素それ自体がハザードだとか、脆弱性だとかがあらかじめ決まっているわけではありません。そのことが、リスク・ハザードに関する論議をわかりにくくしているのも事実です。
タバコは健康面にとってハザードですが、これがリスクになるかどうかは「吸う」というリスクを冒す行為しだいということです。タバコが体に悪いことはいまや常識ですが、中にはタバコを吸っても何ともない人がいるかもしれません。こういう人は脆弱性が低い幸運な人です。しかしたいていの人はたばこの煙を吸い込むことによって健康に何らかの影響を受ける恐れがあるので、不特定多数の人が集まるところでは禁煙にするという戦略は効果的です。受動喫煙の禁止措置は「知らず知らずのうちにハザードに暴露されリスクに変わることを避けるための対策」だと考えると、なかなか合理的なものだと見ることもできます。タバコは同時に火災リスクの面から見てもハザードです。寝たばこは相変わらず火災原因の上位に位置づけられています。火災というリスクを減らすのであれば、タバコを吸う事態そのもの(ハザード)を減らすのは極めて合理的な選択肢です。
現実的な問題に対処するにはハザードと脆弱性に分解して、それぞれどのようなコントロールができるのか、戦略的に進めることは極めて大切だと思います。今日は「いばらき防災大学」で防災士試験を受けられる方々を対象に「ハザードマップと被害想定」の講義をさせていただきました。防災士の方々は地域のハザード情報を市民レベルのリスク情報に変えるための支援をする存在だと考えると、その重要性が明確になるような気がします。少子高齢化に伴い社会の脆弱性が増加するにつれ、ますます防災士の方々の活躍の場が増えると思いますが、どうぞ市民目線でよいハザード、リスク変換をしていただきますよう、お願いしたいと思います。