災害はめったに起きないからこそ対応が難しいものです。私たちの社会は以前だったら災害に達したと思われるレベルの事象(例えば大雨、強風、強い地震動など)が起きても、技術の進歩のおかげで災害にならずに済んでいると思われることが多々あります。年間に発生する災害による死者数は、東日本大震災のような極めてまれに発生する大規模な災害を別にすれば日本全体で100名単位であり、人口割合から見れば非常に僅かです。だからと言って災害対策が無駄になっているというわけではありません。それよりもはるかに多い(それでも減少している)交通事故死者や火災による死者から見れば、自然災害による命の危険は確かに低いレベルにあることは事実です。
そのためか、災害を経験した多くの地域では、「いままで経験したことのないものだった」とか、「生まれてこの方聞いたこともないような事件」というような言い方をよく耳にします。これは自治体の防災担当者も同じことで、そうでなくても人事異動で経験のない担当者が来ると、まず何からどうしていいのかわからないままに避難勧告や避難指示を出さねばならなくなるなどということが起きています。昨年の伊豆大島役場でも、これまで避難指示を出したことがないとなれば、この雨がいかに深刻か頭でわかっていても、決断できなかったというのが実態ではないかと思います。それもあって、町では警報などが一定の段階に入ったら、ためらわずに住民向けの情報を発信するというルールを打ち出しました。
空振りを許容するという災害文化の形成が重要と識者は言ってはいますが、かつて都知事ですら大雪の時に予報が外れると文句を言うほどですので、実際は容易ではありません。少なくとも他の自治体、他の地域で起きた災害の経過を、それ以外の自治体でも引き直して、そこだったらどうなるかというように適用地域を敷衍できる仕組みが求められています。大島の土砂災害を他山の石としてそれぞれの自治体だったら何ができるか、いまこそ真剣に検討すべきではないかと思います。それこそがこの災害によって犠牲になった方々に対して残された者にできる最大の責務ではないでしょうか。