防災科学に限らず、およそすべての科学研究には失敗はつきもので、いつも上手くいくというわけではありません。もちろん研究者は上手くいく(防災では災害を減らす)ことにつながる技術や方法を探求しているわけですが、いつもいつも成功例だけを報告できるわけではありません。実際、地域防災という漠とした枠組みの中でも、できることとできないこととがいつも隣り合わせで、これで本当に減災効果なんてあるのだろうかという想いにとらわれることもあります。あまりも多くの命が犠牲となった東日本大震災でも、たくさんの避難や対応の「失敗」が起きていました。しばしば報道され、また訴訟にもなっている石巻市の大川小学校の避難の事例などはその代表でしょう。また現在なお避難が続いている福島原発事故後の対応についても、今一つ事実関係が公開されていません。失敗から学ぼうという姿勢がない限り、私たちはまた過ちを繰り返してしまうことは歴史が明らかにしています。
地域防災力というなかなか分かりにくい、そして掴みどころのない「概念」について、私たちのプロジェクトでも最初はずいぶん踏み込んで論議しました。地域力を支えるのがもし地域の人間関係の円滑さだというのであれば、何をおいても住民間でのトラブルを無くして、さらにできることなら聡明で統率力、行動力、そして人望の厚いリーダーがいてくれればいいのですが、それだけではなかなかわからない部分もあります。一見地域社会に無関心な人たちばかりのような地域でも、ひとたびことが起きればその潜在的能力を如何なく発揮する事例もあります。そう考えて地域の秘めた力を平時から計測するのは実は容易ではありません。東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼市に私たちは震災のちょうど3週間前に訪問して津波防災のための取り組みに参加していましたが、それほど平時の防災意識の高い気仙沼市でも、これだけの死者を伴う災害から免れなかったという現実は、やはり災害時の対応力を平時から計量する方法をきちんと開発する必要があることを示していると思わざるを得ません。
最近話題のSTAP細胞も、実態としてどうだったのか、専門家でない我々にはわからないことがたくさんありますが、もし、「上手くいかなかったのにもかかわらず、上手くいったという報告をしてしまった」というのであれば、かなり厳しい研究姿勢だったといわざるを得ないでしょう。もちろん上手くいくことを期待はしてはいますが、そうでなかったとしても、私たちはその失敗から多くのことを学ぶことができるのですから、事実関係の積極的な公開をしていただきたいと思うところです。