今日銀行に行った時に、次のようなことがありました。キャッシュコーナーに向かおうとしたところ、私の一人前に女性のやや年配の方(おそらく60代と思われます)がおられて、コーナーに並んでいる機械を見渡して一番端にある「記帳専用機」に向かいました。他の引き出し機は全て埋まっていて記帳専用機だけが空いていたのです。女性行員が声をかけて「記帳だけですか」と彼女に言ったのですが、その女性は「ええ、記帳だけ」と言ってその機械に向かいました。私は普通の引き出し機のほうで空きができたので、そちらに回って手続きを進めたのですが、しばらくするとその女性が「おろせないじゃないの」と女性行員に文句を言い始めました。行員は女性客が「記帳だけですか」と確認したにもかかわらず、現金を引き出すとは思わなかったのでやや戸惑っていましたが、この類のコミュニケーションの「ズレ」は私たちの身の回りにしばしば発生します。これを女性がやや高齢者だったので加齢による意思の疎通のむずかしさと思うのか、それともそもそも人とのコミュニケーションが不十分な生活に私たちが慣れているために、誰にでもいつでも起きうることだと考えるかでは、ずいぶん違ってくる気がします。
日本的には「いわずもがな」であるようなことは、これからのコミュニケーションの姿勢としてはなかなか伝わらないかもしれません。昨年あたり「江戸しぐさ」が話題になりましたが、あれもよく見れば「嫌みのない所作」によって、こちらの気持ちを相手に「それとなく伝える」ためのものです。でも悲しいことにそれすら今の時代ではなかなか通用しません。高齢者がいても平気で優先シートに座り続ける若者を見るたびに、やはりこの国には最低限の社会的モラルを身につけさせる手段が必要だろうと思ってしまいます。コミュニケーションレスな社会というのは結局は「ダメな社会」の入り口に差し掛かっているのかも知れません。学校防災の関係で全国の様々な小中学校にお邪魔する機会が増えますと、いつも思うのは子どもたちが私たちのような見知らぬ「他人」に対してきちんと挨拶出来ているなぁということです。人とコミュニケーションをとることはいいことばかりではありません。もしかするとそれで傷つくこともあるかもしれません。しかしその不愉快さ、傷みを経験することで人は学んでいく部分もたくさんあるはずです。子供の時にはこれほどコミュニケーションの基礎ができている子供たちが、大人になったらコミュニケーションレスになって、話し合うことも苦手だとならないように、私たち大人がまずはきちんとコミュニケーションできるようにならなければなりませんね。