東日本大震災によって電力の安定供給は必ずしも保障されていないことが実感できました。計画停電は理屈の上ではその存在が知られていても、現実に実行に移すことになるとは電力関係者でも思っていなかったのだろうと思います。政権が替わって円安が急激に進むなど、ついこの間まで当たり前だと思っていたことが、意外に脆いものだ、あやふやなものだという印象が強まってきています。
災害は私たちの生活にある意味で「困った事態」をもたらす出来事で、それは個人にとっては一生に一度あるかないかという頻度の出来事ですので、多くの人は十分な備えをしません。その時になって初めて困った状態に陥ることになります。では私たちの社会はこの困った状態をできるだけ均等に負担し、軽減できるようになったかというと、どうもそうでもないように思います。最も印象的だったのは1995年の阪神淡路大震災で、被災した神戸のまちの中でも比較的豊かな人たちの生活するいわゆる山の手では、ほとんど無傷の建物も少なくなく、一方でどちらかと言えば低所得の人たちの多く生活する下町のほうでは被害が集中していました。困った事態に直面するのは経済力に大きく依存するわけです。
これだけ豊かな時代になると私たちはなかなか「我慢」が出来なくなっているように思います。困った事態を社会全体で乗り越えるためには、この「我慢」を「みんなで分担して耐える」仕組みを作る必要があります。日本社会はこれまで社会全体で我慢をする工夫を十分にしてこなかったのではないでしょうか。例えば都市部での交通渋滞ですが、いまの野放図な状態にあっては災害時に大きな混乱や避難の障害を引き起こすことも不思議ではありません。メキシコシティでは大気汚染対策として自家用車に曜日による割り当てを行い、中心部に乗り入れる車に制限を設けていたりしています。それでも大気汚染は東京よりもはるかに酷い状況でしたが、都心に乗り入れる車には一人乗りを認めないなどの交通政策で渋滞を減らし効果を上げている都市もあります。あらためて街を作り直すには時間がかかりますが、工夫と努力である程度の不便をかこってでも安全や安心を確保するという選択肢もいまは必要な時期に来ているように思います。
さて、今日は午後から滋賀県の彦根市で防災ラジオ滋賀2013に生出演します。もしお聴きになった方がいらっしゃったら「噛んでも」ご勘弁ください。