2012年もいよいよ最後の一日となりました。昨年は東日本大震災という未曽有の災害に明け暮れた一年でしたが、今年もまだその余波が続いていて、この後も何年も日本社会に多種多様な影響を与え続けていくことが容易に想像されます。とりわけ原子力発電所事故の影響は収束の見通しが全く立たないままで越年が続いており、福島の方々には心休まる日々が戻る見通しが見えません。これは大変つらく、心からお見舞い申し上げたいと思います。
間もなく震災から2年という時間が経とうとしていますが、一番考えさせられたのは私たちの社会が、実にたくさんの不確実さに囲まれているという現実でした。先の衆議院議員選挙でも各候補者、各政党のアピールにはどれもこれも確定的なことは盛り込まれておらず、公約と言ってもいずれも実現の保証がないものばかりで、選挙の結果が出てから解党するところまで出てくるに至っては、未来を託すには不安ばかりがあるという感じがぬぐえません。改めて考えてみると、日常生活の中でも確定的な物言いができることは非常に少なく、まさに私達は明日をも知れぬ中で生活しているという思いは一層強くなってきています。
そのような中でも私たちは物事を決めて先に進んで行かなければなりません。防災のための先行投資やインフラの整備は今すぐに効果が出てくるものではありません。しかし一方ではハード対策だけに頼った防災システムでは、未来を本当に守り切れるのかという疑問も起きてきます。過去にたびたび大津波に見舞われた三陸地方に築かれた巨大な防潮堤は、かつて過剰投資ではないかと批判的な意見すらありました。しかし、いまではそれすら易々と超えてしまう津波被害を目の当たりにすると、堤防の高さをどれほど高くすればよいのか、専門家でない私たちは途方に暮れてしまいます。100%の保証をもって、決して越えない堤防や安全な街をつくることは、求めても意味のない議論になってしまうでしょう。どこかで私たちは自然と自分達との折り合いをつける必要があります。
このようにあらゆるものに「限界がある」ことを私達は正しく認識したうえで、次の一手を打っていくことが求められています。もしあるシステムだけで限界があるなら、それを上回るような事態が生じたときには速やかに次善の策がとれるような仕組みを作っておくこと、これが想定外に対処する唯一の道かと思われます。来るべき2013年が、さまざまな社会システムの多様化によって、一層安全で快適な社会になって、私達がもっと安心して暮らせる世の中になることを何よりも切望しています。