12月7日夕刻に発生したマグニチュード7.3(速報値)の地震は、最大震度5弱の揺れをもたらすと同時に、太平洋沿岸各地に津波警報と注意報を発令させました。今回大いに注目されたのは地震後に各メディアが臨時放送で呼びかけた従来にないほどの命令調の避難呼びかけだったと思います。テレビ画面には「津波」や「避難」の文字が大きく出され、アナウンサーの声の調子はあの311の時とは大きく異なったものとなりました。
災害時にマスメディアがどのように情報を発信するかというのは、初期対応においてきわめて重要な要素となっています。受け取る側に適切な危機感をもたらし、かついたずらな不安には至らないような情報の伝達というのは極めて難しいと思いますが、今回の放送は昨年の大震災後初の試みとしては上手くいったのではないかと個人的には思います。
一つ気になるのはこの「命令」という言葉に対する過剰なアレルギー反応の問題があります。だからメディアはわざわざ「命令調」であって「命令」ではないという、気を使ったいい方をしています。法的に「命令」がどういう定義であるかはともかく、社会的には「避難指示」も「避難命令」も一般市民からすればさほど違って受け止められていないと私は思います。地域防災の現場に行くと、多くの市民は「役所からの避難命令が出れば・・・」という言い方をされます。避難指示と避難命令、さらには避難勧告や避難準備というような言葉をきちんと区別して使い分けている人はめったに居ません。だからと言っていい加減に使ってもいいというわけではありませんが、命令という言葉に過敏になりすぎて、助かる命も助けられないというような事態は防ぎたいものです。
私の研究チームに李泰榮君という優秀な研究員がいますが、彼の母国である韓国では災害対応は行政の役目、軍隊の役目であり、一般市民が主体となって動くような自主防災という感覚はあまり無いようです。そこでは地方行政府や国、軍からの「命令」一下、管理型の危機対応がなされるようです。もちろん韓国は現時点でも戦時下にあると言ってもよいわけですので、危機管理の基本的姿勢が日本とは違うのは仕方がないとはいえますが、上からの命令だけで動くというのに慣れてしまうとそれが失敗した時に犠牲となる人にはなんと言い訳するのか、考えてしまいます。
防災によらず、自立した個人による社会というのは、他社に責任を押し付けることばかりに汲汲とする社会とは基本的に違うものではないかと思ったりします。