岩波新書より9月20日に発売された「構造災-科学技術社会に潜む危機:松本三和夫著」で、著者は「科学と技術と社会をつなぐ複数の様々なチャンネルの制度設計のあり方や、そこに登場する複数の異質な主体が織りなすしくみの機能不全に由来する失敗」を、「構造災」と名付け、これを乗り越えてゆくことが日本社会の喫緊の課題であると言っています。この本の著者松本三和夫氏は科学社会学、リスク社会学の研究者として著名な方で、「テクノサイエンス・リスクと社会学(東京大学出版会)」などの著書があります。
福島原発について言えば、確かに高度化されたシステムがもたらす悲劇的な事態について、私たち一般市民は正しく(ここで正しくというのは「科学的に正しくという意味です」)理解するのは極めて難しいし、震災から1年半が経過した今でも、原発の中がどのようになっていて、現在から将来にわたりどのようなリスクが考えられるのかを、きちんと理解できる(科学的に理解できるという意味です)人はごく限られている気がします。巨大なシステムになるとそれがどう影響するかをわかりやすく見取り図に掛ける人はどんどんいなくなる、これが現実です。
防災の世界も、リスクの所在やイメージを正しく伝えることに熱心であるだけでは、リスクの本質は理解できないし、おそらく防災効果も期待に応えるものにはならない気がします。最近はさまざまな専門機関がアウトリーチ活動に熱心になっていますが、それとてきわめて限定的なもので、望ましい対話が行われている気がしません。
構造災の本の中で、著者は「立場明示型」の研究の必要性を論じています。このことはとても大事な点で、日本の研究界ではこれまであまり顧みられていなかった点ではないかと思います。その研究の重要性や必要性だけでなく、それがもたらす結果に自分はどのような態度で臨むのか、なかなか明示して研究している人は多くないのが現実です。ちょっと例が適切かどうかわかりませんが、以前にカリフォルニアの地震保険の仕組みを調査した折に、サンフランシスコで新しい断層が発見されたというニュースのあった時期だったので、これをどう見るかということで興味を持って関係者と話したことがあります。そこで知ったことですが、その断層がリスクを高めるという研究者と、そうではないという研究者が公開討論を行うという話を聴きました。何やら地震予知で失敗して実刑を受けたという某国の研究問題も思い出されますが、日本では研究者間であまり突っ込んだ論争をすることを敬遠しますし、出来れば議論を回避して丸く収めたいという風潮があります。一つの断層でもそのような議論が行われ、その議論に誰でもが参加できるというところは、いかにもアメリカ社会だなと思いました。
立場明示型、確かに難しい点もあるかと思いますが、日本社会がこれからどのような未来に向かっていくのか、科学者も、政治家も、一般市民も、それぞれ事あるたびに自分の立場を明示していくことも必要なのかもしれません。マニフェストが本当に信用できない状況にある中で、重要な立場にある人は、自らきちんと立場を明示することは大切ですね。
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