東北地方太平洋沖地震が発生したことで、あらためて歴史的な災害研究の重要性が注目されています。東北地方の太平洋沿岸は繰り返し津波を伴う大地震が発生していますが、今回のように規模が大きく、かつ津波の波源域が広い災害は、これまで防災対策上想定されていませんでした。過去にさかのぼって起きた災害をきちんと調べなおすことで、大きなイベントが過去にも起きていた(したがってこれからも繰り返す可能性が高い)ということを知っておくことは、防災の基本といえるでしょう。
ところで我が国は歴史上の出来事に関する記録は諸外国と比べてもかなりよく保存されていると言われています。一つには紙に書きつけた記録の保存が丹念になされていたことや、公的なもの以外にも庶民がさまざまな記録を残すほどの高い識字率などが相まって、歴史災害についてもさまざまな記録が残されています。これを専門に解析し、防災に役立てている研究者の方もたくさんいます。
過去の災害の記録で一番気になるのは、それはどれほどの被害だったのかという点ですが、その筆頭となる指標は何と言っても死者数となるでしょう。例えば江戸時代末期に発生した安政の江戸地震はいわゆる首都の直下型地震の一つのモデルと考えられますが、これによる死者は4000名余りと言われています。また、江戸時代に入る直前の慶長年間は近畿地方や東海・東南海・南海地域、さらには豊後、伊予にも大きな地震が発生しており、とりわけ東海・東南海・南海トラフに発生した地震は高い津波により死者は1万人とも2万人とも言われています。このような歴史災害による死者数は、実は当時の日本社会にいた人口に比して考えると、とてつもなく大きな災害だったと言えます。
歴史人口学を研究されている鬼頭宏氏の「人口から読む日本の歴史」にしたがって、8世紀から今世紀までの日本の総人口は下のグラフのような形になりました。
安政の江戸地震を自らの人生の中の出来事として経験したはずの坂本龍馬氏にとって4000名という死者数は、今日の我々にとっては数万人に匹敵するインパクトがあったことでしょう。織田信長の亡くなった直後の慶長年間にも上記のようにたくさんの地震がありました。彼自身は災害で死んだわけではありませんが、時として多くの命を奪ってしまう災害について彼はどのように見ていたでしょうか。自然災害は時の社会にそれは大きな影響を与えているに違いありません。そう思って歴史上の人物がそれぞれの時代でどのような災害に遭遇していたのか、またそれに直面して何を考えただろうかと思いを巡らせることも大事なことです。