坪川です。昨日は埼玉県川口市からのご依頼で、300人を超す市民の方々を対象に、東日本大震災と今後の防災について講演をさせていただきました。またつい先日は福島県いわき市の皆さんが研究所にお見えになった際にも、短時間でしたがこの震災がもたらした防災上の意味や影響についてお話をする機会をいただきました。このような機会を通じて間もなく震災から1年を迎えるに当たり、あらためてこの震災がどのようなものであったのか、私たちは頭を整理する必要があることは言うまでもありません。今日はその中で「想定外」ということについて、書いてみたいと思います。
想定外という言葉はおそらく震災後一番多く使われた言葉の一つではないかと思います。この言葉はよく考えると災害のどの部分を指しているのかがあいまいです。この災害の想定外について、分解していくと、
1)現象としての地震が想定外だった
2)地震によって引き起こされた高い津波が想定外だった
3)高い津波によって引き起こされた原子力発電所のトラブルが想定外だった
4)原子力発電所のトラブルが長期間、広範囲に被害をもたらすことが想定外だった
というように分けられそうです。
さらに1)についても、地震の発生場所が想定外だったのか、地震の規模が想定外だったのか、あるいは地震の発生時期が想定外だったのかというようにも分けられそうです。このうち、「場所」についてはこれまでも繰り返し起きている三陸地震の震源域でもありますし、沿岸部の方々も高い津波を伴う地震を警戒していたことでもあり、本質的には想定外には当たらないのではないかと思われます。(地震学的に厳密な解釈は別ですが)ただし規模については専門家の予想を大きく上回るという意味で、やはり想定外と言わざるを得ないでしょう。地震規模の予想が正しくできていなければ、当然2)の津波の高さも想定外と言わざるを得なくなります。ただしこちらについてはM9というイベントが、単純に地震規模が大きいために発生した津波が高かったのか、津波が非常に高くなった原因が何か別にあるのかは、今後の詳しい調査に待たなければならない部分があるとは思いますが。
次に3)原子力発電所の冷却用電源の喪失という事態については、全くの想定外だったと言わざるを得ないでしょう。原発は強い地震動によって緊急停止した(したがってここまでは想定内だった)けれども、その後の津波がこれほどまでに基本的な機能を損なう事態を招くとは思っていなかったのではないでしょうか。この他にも原子炉本体ではなく、関連設備がトラブルを起こした結果、制御が難しくなる事態はいろいろあると思われますので、この震災をきっかけに津波想定の見直しを行うだけでは十分ではなく、(あまり考えたくはありませんが)さまざまな事態を私たちは考えておくべきでしょう。
最後に4)の放射能汚染の影響についてですが、チェルノブイリ事故という非常に悲惨な事態を人類は経験したにも関わらず、その深刻さについて私たちは十分理解して対処してこなかったという点で、やはり想定外だったと言わざるを得ないかも知れません。いやむしろ「そんなことは日本では起きないよ」と頭の中では考えることを避けていたとも言えそうです。グローバルな世界がもたらされた現在、私たちは世界中に起きている様々な事態が、明日にも自分に降りかかる可能性について考えておく必要がありそうです。
一口に「想定外」と言っても、いろいろな側面がありそうです。だいぶ前ですが、ホリエモンが某テレビ局の株式取得に関わる問題で「想定の範囲内」という発言をして話題になりました。あの範囲内という発言には「俺はそんなことは言われなくても考えているんだよ」という意思表示が含まれていて、相手方の関係者から見れば「生意気な若造」という印象を強く抱かせた気がします。しかしあらゆる事態を想定しておくことは不可能と言わざるを得ません。「済みません、その点は想定外でした」という言葉は、立場によってはなかなか言いにくいものですが、自分の身近な関係者にはそういう言い方もできる関係が欲しいですね。
そうそう一つ書き忘れました。地震の発生時期に関する想定外については、そもそも想定自体がほとんどできていないに等しいともいえるので、想定外ではないと私は思うのですが、次回はこの問題について考えてみたいと思います。