坪川です。ここ数年、政治家や大企業の経営者などが自らの発言をマスコミなどに取り上げられたときの反応に、「真意が伝わらない」とか、「真意ではない」などという発言が相次いでいます。ごく最近でも某県知事が原発問題でその発言をしていました。そもそも真意というのは辞書で引くと「本当の気持ち」とか「意向」というような意味があるようです。自分の真意が伝わらないというのは、何やら相手が自分の言いたいことを正確に受け止めていないのが問題だ(だから自分には罪がないのだ!)といっているように聞こえるのは私だけでしょうか。なんだかおかしくないですか。
そもそも政治家とか実業家などの経営者は、組織の上に立っていろいろ発言する立場の人で、その人が自分の発言が仮に相手にうまく伝わらないからといって、それを相手のせいにするのはおかしな気がします。どうも日本人の言う真意というのは、発言者も本音ではそう思っているのだけれど、あまりにあからさまだから、それを言わなかったのだ(だからわかってくれよ!)という感じを言外に匂わせているようにも感じられます。日本人の得意の腹芸なのでしょうか。これでは一向にらちがあかないのも仕方がない気もします。
災害の世界も、今回の震災によってさまざまな利害関係者間で積極的なコミュニケーションをとらざるを得なくなりました。例えば今回津波の被害が及んだ範囲は、今後も住宅や様々な社会インフラを同じように整備すべきでしょうか。それとも避けながらまちづくりを模索するのが賢明というものでしょうか。すでに被災地の一部の県では今回の浸水深よりも低い100年に1度の津波波高を基準にすることが決定されたようです。経済性の制約や、技術的限界などもあって、全ての地域を今回の被害が及ばないような状態にするのは無理であったとしても、それがどのように決まったのか、どういう議論があったのかはきちんと公開してほしいと思います。そうでないとそれこそ「真意」が伝わらなくなってしまいます。
10月8日の遠野でのアーカイブシンポジウムでは、津波の記憶の保存が難しいことが専門家からも報告されました。確かに世代を超えてまで、災害の記録を伝えていくのは容易ではないかもしれません。しかし、一つのまちを災害から守るためにどのような議論があって、それによってある種の防災の基準が決定されたのであれば、その過程こそを共有し、その意味を後世にも常に問い続けてもらう、その必要があるのではないかと思います。まさに私たちは私たちの「真意」をこそ、次の世代に伝えていく必要があるのです。
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