坪川です。岩手県が生んだ詩人で、日本人なら誰もが知っている宮澤賢治は、現在の花巻市に当たる岩手県稗貫郡里川口村に、1896年に生まれました。賢治が生まれた1896年(明治29年)という年は、今回の震災の被災中心である三陸地方に大地震が発生し、大津波による甚大な被害(死者・行方不明者2万2千人)をもたらした年でした(明治三陸地震津波)。この時の被害は岩手県に集中しており、死者の8割にあたる約1万8千人が岩手県で発生しています。
さらに賢治が亡くなった1933年(昭和8年)に、三陸地方は再び大津波に見舞われ、死者・行方不明者およそ3千人という昭和三陸地震津波が発生しています。実に賢治の一生は、故郷に発生した大災害で始まり、大災害で終わるという不思議な縁がありました。グスコーブドリもそのような故郷の災害を強くイメージして作られたのかもしれません。
賢治は自然の中で自然とともに生きることを目指しましたが、決して自然に逆らわず、また自然を侮らない生き方をしたのではないかと思います。自然回帰が謳われ、そのたびに賢治の思想が取り上げられますが、本人はいたって平凡に行きたがっているように思われ、特に環境保護を声高にうたったようには思われませんが、果たして現在の私たちが置かれている原子力発電所の問題を、彼が生きていたらどのように見るでしょうか。
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国立研究開発法人 防災科学技術研究所
防災情報研究部門
所在地
茨城県つくば市天王台3-1