坪川です。矢守克也・渥美公秀編著「防災・減災の人間科学(新耀社)」を読みました。この分野では非常に著名な方々がまとめられたものですので、内容豊富で誰が読んでも有益な本だと太鼓判の押せる好著だと思います。ただ一つ私が気になったのは「防災」という言葉と、「減災」という言葉の解釈がわざわざ書かれているところです。
減災という言葉が使われだしたのは、1995年の阪神淡路大震災後のことでした。主に大学の研究者から使われ出したのですが、そのニュアンスは防災というのは災害を防ぐというあまりにも上から目線の言葉なので、私たち(特に防災研究者)はもっと謙虚になるべきで、災害を減らすという姿勢、すなわち減災という姿勢で出発しなければならないというようなものだったと思います。この新しい本の中ではこれを整理して、減災の含意というようなことまで書かれています。それはそれでよいのですが、その前にやっぱり「防災」という言葉がずいぶん批判的に評価されています。防災に必要な知識や技術は「専門家だけが知っており、一般市民には手の届かないもの」とまで書かれていますが、果たしてそうでしょうか。ちょっと大げさに過ぎませんか。
地域で多くの方々と関わりを持たせていただくと、防災活動というのが実に大きな広がりと、裾野を持った取り組みであることがわかります。大学の偉い先生はともかく、防災というのはすでに社会の様々な主体がそれぞれの活動可能な範囲で取り組んでいる大きな協働事業になっているように思います。そこでわざわざ減災という言葉を持ち出して、ことさら違いを強調するのは、正直なところ防災研究者のへ理屈のように感じられます。防災は決して敷居の高い(これはこの本の中での表現です。敷居が高いというのも変な話で、ハードルが高いのではないでしょうか。別に妙な遠慮があるというわけではありませんから。)ものではなく、さまざまな主体がそれぞれの立場でよりよい社会を作ろうとして取り組むことのできる意義のあるテーマの一つである(防犯と並んで)と私は思います。