先日の台風第8号では特別警報が出された割には被害が少なかったので、いささか拍子抜けした人もいたかもしれませんが、被害が出ないうちに避難したり対策をとったこと自体は良かったのだと考えたいところです。「経験したことがないほどの大雨」が起きる恐れがあるという特別警報は、必ず被害が出ると言っているわけではなく、被害が出てもおかしくないほどの気象現象が起きる恐れがある(可能性)の表現だということを我々はあらためて理解しなければなりません。可能性、すなわち確率に基づいて意思決定をする限り、不確実性は排除できないのですから、災害がなくてよかったと思う事態を繰り返していくことに我々は慣れていく必要があります。
7月も半ばを迎え、これからが強い雨が懸念される時期になります。1957年7月25日から28日にかけて、長崎県諫早地区を中心に猛烈な雨が降り、最高記録では24時間雨量が1100ミリを超えるというような信じられないほどの記録も残されました。「諫早豪雨」と呼ばれたこの豪雨災害では長崎県内だけで780人以上、熊本県でも160人以上の死者が発生しました。その名が冠せられた諫早市では580人以上の死者・不明者が生じています。それから25年後、1982年7月23日から24日にかけては長崎県長崎市を中心に大雨が降り、たくさんの土砂災害も伴って300人近い死者を出す「長崎大水害」がありました。坂が美しい長崎の町ですが、災害後は眼鏡橋も破壊され、それは悲惨な状況でした。
梅雨前線が停滞することで起きる梅雨ですが、太平洋高気圧が勢いを増して日本列島をすっぽり覆う前は、南から湿った空気が大量に供給されるため、豪雨が起きやすくなります。加えてこの時期に台風がやってきたりすると、先日の台風第8号の際の新潟や山形のように、台風本体とは離れたところでも前線が刺激され思わぬ大雨ということも起きますので注意が必要です。今年もあと2週間ほどで梅雨明けと思われますが、最後の最後まで気を抜けません。
さて、東京もかつては河川氾濫による水害をしばしば経験していましたが、堤防の整備や下水道の能力アップなどで私たちにとって水害は日常から離れた事態になってきました。まあ災害などというものはあって欲しくないものの代表格ではありますが、そのことが災害そのものをイメージさせにくくしていることは確かで、そのために備えがおろそかになってしまうようでは問題です。現在、首都圏で大きな河川にはスーパー堤防と呼ばれる高規格の堤防が整備されています。これは堤体の厚さをずっと増すことで、破堤を防ぎ、市街地を洪水から守ることを目標にしたものです。国土交通省の計画では現在の整備ではおよそ200年に1度の洪水に耐えることが設定されています。
東京と千葉とを隔てる江戸川にもこのスーパー堤防が順次整備されています。台風一過の土曜日に住民の立ち退き問題で揺れている江戸川区北小岩1丁目地区に行ってみました。すでにかなりの戸建て住宅は立ち退きが終わっていて、残り数戸が残されるだけになっています。新聞の記事では、インタビューに答えた住民の方が「嫁いで60年。一遍も水害はない。」と言っていました(東京新聞7月4日朝刊)。公共の利益と個人の利益が相反しているケースはたくさんありますが、このケースでも水害のリスクについてどのようなコミュニケーションが行われたか、それは十分なものなのか、誤解はないのか、科学的裏付けはあるのかなどきちんとした分析が必要です。かつて民主党政権下では仕分けの対象となりグッと縮小されたスーパー堤防事業でしたが、その必要性は本当にあるのか、研究者も他人事のようにしていてはいけないと思います。

向かって右手、堤防の下が区画整理地区。左は江戸川の河川敷。
向かって右手、堤防の下が区画整理地区。左は江戸川の河川敷。