今からおよそ45年前、昭和44年(1969年)4月1日、現在は国道6号線(水戸街道)が走る荒川にかかる新四ツ木橋で行われていた橋脚の基礎工事において、作業員8名が死亡する大事故がありました。川に中に鋼矢板をぐるりと円形に打ち、これにリング状のタガ(リングビーム)を内側に咬ませて耐えられるようにし、川底を掘削する作業を進めていた時に発生した事故です。突然の大音響とともに吹き飛んだリングビームに続いて鋼矢板が倒れこみ、周りからどっと水が流れ込み、作業員はあっという間に水に閉じ込められました。
この事故の原因は、この円形に鋼矢板を打ち込むという工法そのものにあったと考えられ、建設省(現国土交通省)では、その時点で他にも行われていた工事をすべて停止させるという措置を取りました。その後、この工法は使われなくなったのですが、あたかも原発をすべて止めた、今回の震災の対応を想起させます。いつの時代もリスクがわからないうちは、いったん撤退することも恐れない決断が必要です。この事故を忘れないようにするために、事故から4年後に完成した新四ツ木橋のたもとに慰霊碑が設置されたのですが、現在は埋められてしまっていて見ることができないそうです。しかもこの慰霊碑が犠牲になった作業員の多くの出身地だった青森県大鰐町が作ったものだと聞くと、どうして残せないのだろうと思ってしまいます。

思えば今日の日本の繁栄は、この事故のようなたくさんの事故や災害の経験の上に成立しています。しかし、それらのつらい経験から得られたものを忘れてしまっては、また同じような事故を引き起こしてしまいます。福島も同じです。久谷與四郎氏がまとめた「事故と災害の歴史館―あの時から何を学ぶか―」(中災防新書)には、いまの私たちが学ぶべき事故の事例がたくさん収録されています。