新潟県柏崎市といえば2004年の新潟県中越地震、2007年の新潟県中越沖地震の2度の震災を被り、市民の方々は大変な苦労をされた地域ですが、一方で市民自治の歴史においてはコミュニティ主体の地域づくりにおいて大変先進的な取り組みを行っているところとして知られています。このこともあり、2007年の中越沖地震に関しては私たちの研究チームも被災地の各コミュニティに多くのご協力を頂き、市民による地域づくりの課題や防災上の効果について多くの知見を頂きました(詳細は研究所の主要災害調査に載っています)。
いわば自主的、自立的コミュニティに関しては40年もの先輩でもある柏崎市の方々が、今回鶴ヶ島を訪問したのは、この鶴ヶ島市のコミュニティが最近大変進んだ取り組みを行い、地域づくりについて高く評価されるようになってきたからでもあります。今回の両コミュニティの交流は、それぞれ異なる背景を持つ地域同士で、それぞれが持つ課題を紹介しあいながら、どのようにすればこれからの地域社会を安全で快適なものにしていけるかを語り合うことにつきます。会場となった鶴ヶ島市立第二小学校の校舎内では、熱気に包まれた多くの意見が交わされました。
鶴ヶ島市は首都圏のベッドタウンとして、かつては人口が急増しましたが、いまはだいぶ落ち着いてきています。東京近郊の都市としていずれも同じですが、駅前はマンションが建ち、住宅地は密集しており、人口密度はだいぶ高くなっています。柏崎市のような地方都市とは異なり、住民のかなりの割合が市外に勤務しているため、もし首都圏で大きな地震があれば市への帰宅困難者が発生することは容易に想像されます。市民の市に対する帰属意識も必ずしも高くなく、その点では柏崎市のほうが、ずっとコミュニティ内の結びつきが強いでしょう。実際、中越沖地震の際には、コミュニティ内の強い団結力が、被害を抑える意味で多くの効果があったと考えられています。
しかし、柏崎市の自主独立のコミュニティ政策がスタートしたのはすでに数十年も前のことで、現在のように急速な少子高齢化が進展した状態になると、自律的なコミュニティ運営も壁に突き当たっているように見受けられます。実際、柏崎市のいくつかのコミュニティでは厳しい現実が語られていました。一方で鶴ヶ島市では、今回の取り組みをリードしている支えあい協議会のメンバーのような、地域への責任感や自律性を高く意識している方々がいるのは確かですが、地域問題に全く無関心で、防災への関心もほとんど持っていない人たちも少なからずいるようです。これをどうするか、みな頭を悩ませていらっしゃるでしょう。
この2つの性格の異なるコミュニティの方々が、今回の取り組みを通じて結びつきを強め、ともに行政をうまく活用して交流を促進していくことで、これから起きる恐れのある大災害に大きな効果が期待できるかもしれません。私たちもそのための支援の一助となればと、頑張りたいと思います。