さらに賢治が亡くなった1933年(昭和8年)に、三陸地方は再び大津波に見舞われ、死者・行方不明者およそ3千人という昭和三陸地震津波が発生しています。実に賢治の一生は、故郷に発生した大災害で始まり、大災害で終わるという不思議な縁がありました。グスコーブドリもそのような故郷の災害を強くイメージして作られたのかもしれません。
賢治は自然の中で自然とともに生きることを目指しましたが、決して自然に逆らわず、また自然を侮らない生き方をしたのではないかと思います。自然回帰が謳われ、そのたびに賢治の思想が取り上げられますが、本人はいたって平凡に行きたがっているように思われ、特に環境保護を声高にうたったようには思われませんが、果たして現在の私たちが置かれている原子力発電所の問題を、彼が生きていたらどのように見るでしょうか。